Hồng Lê Thị

自分らしく生きる_ Hãy là chính mình

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Category: CÂU LẠC BỘ ĐỌC

BÀI ĐỌC DÀI N1

BÀI ĐỌC: 本というのは、人間と同じようなものだ。一律の価値によって優劣を決めることはできない。人気者がいるのと同じように、ベストセラーがある。嫌われ者がいるように、誰からも手に取られない本もある。だが、どれもがそれぞれの価値を持っている。それを求めている人の手に求めているときに渡れば、それは良書になる。 それゆえ、私はインターネットの書評サイトなどで、まるで自分を神であるかのように本の優劣を断定しているものには激しい抵抗を感じる。もちろん、書評をするのは悪いことではない。本を批判したりほめたりするのも、もちろん大事なことだ。だが、あくまでもそれは、その人の知識と関心と人柄によっての判断でしかない。つい神の立場でものを言いたくなる気持ちはわからないでもないが、それはあまりに傲慢というものだろう。 私の本も、インターネットの書評サイトでかなり叩かれているものがある。それはそれでやむをえないと思っている。ある程度売れると、それをけなしたがる人間がいるものだ。本をけなすと、自分が著者よりも偉くなったような気がするのだろう。私自身も本を書くようになる前、いや、正直に言うとある程度売れる本を出すようになる前、他人の本をずいぶんけなしたものだ。 ただきわめて心外なのは、ないものねだりをしている評があまりに多いことだ。たとえば、私はある参考書を出している。その趣旨としていることは、「大学の小論文・試験に何とか合格できるだけのレベルの小論文が書けるようにするため、最低限これだけの知識は持っていてほしい」という知識を整理した参考書だ。だから、私はその本の中では、敢えて難しいことは書いていない。ところが、の参考書を酷評する(注)書評がある。そして、その評の中には「この本を読んでも、かろうじて合格するくらいの力しかつかない」と書かれている。 私は、まさしくかろうじて合格するくらいの力をつけるためにその本を書いているのだ。かろうじて合格すれば、その本は最高の良書だろう。私がそのような意味で敢えてカットしたことを取り上げて、それが書かれていないからと批判されても、こちらとしては困ってしまう。 そのような身勝手な書評がなんと多いことか。知識のある人間が入門書を幼稚すぎるとけなし、知識のない人間が専門書をわかりにくいとけなす。しかし、それは単に自分の背丈にあっていない本を求めただけのことに過ぎない。きちんと自分の背丈にあった本を探して買うのが、読者の務めだと、私は思う。 本について語るからには、あらゆる本に愛情を持つべきだと私は考えている。そうしてこそ、本を批判する資格を持つと思うのだ。 (樋口裕一『差がつく読書』による) (注)酷評する:ひどく厳しい評価を下す 筆者は、どのような書評が傲慢だと感じているか。  優れている点を決して認めようとしないもの。  自身の判断がすべてであるかのように評価したもの。  自身に知識があるかのように見せかけたもの。  大した理由づけもなく優劣を断定したもの。 ある参考書について、筆者が心外だと感じたのはどのような書評か。  どうにか合格できる程度を目指したのに、それ以上の内容が必要だと評判したもの。  合格に必要な最低限の知識を整理したものなのに、合格は不可能だと批判したもの。  難しい試験でも合格できるように書いたのに、それでも不十分だと批判したもの。  敢えて難しいことは書いていないのに、それでもわかりにくいと批判したもの。 筆者によると、本が良書と言えるのはどのような場合か。  書評で強く批判されない場合。  求める人のレベルや目的にあっている場合。  多くの人が価値を認めている場合。  求める人に本の趣旨が理解しやすい場合。 本を批評する人に対して、筆者が言いたいことは何か。  それぞれの本の存在価値を認めるべきだ。  著者のあらゆる本を読むべきだ。  どのような本にも先入観なしで接するべきだ。  極端に否定的な評価は避けるべきだ。 PHÂN TÍCH BÀI ĐỌC  本というのは、人間と同じようなものだ。一律の価値によって優劣を決めることはできない。人気者がいるのと同じように、ベストセラーがある。嫌われ者がいるように、誰からも手に取られない本もある。だが、どれもがそれぞれの価値を持っている。それを求めている人の手に求めているときに渡れば、それは良書になる。 Sách là thứ cũng giống như với con người. Không thể quyết định ưu Read more…


BÀI ĐỌC DÀI N1_ VẬN DỤNG HẾT TẤT CẢ KỸ NĂNG ( TÌM CHỦ NGỮ, PHÂN TÍCH, TỔNG HỢP Ý )

BÀI ĐỌC 以下は、ある芸術家が書いた文章である。 _________________________________________________________________________________ 人間は動物とちがって、知的な活動、その情熱をもっている。おさなくたって、魂の衝動は強いのだ。だから子供は描きたがる。形、色にして確かめる。だが問題は自分のなかにあるものを外に突き出す、投げ出すという行為自体であって、決して出来上りの効果ではない。 だから子供は描きおわってしまったものはふり向きもしない。捨てられたって何とも思わないのだ、(中略)それを大事そうに拾いあげて、「これは面白い。」「坊やは才能がある。これをうまく伸ばせば、将来えらい画家になるかもしれない。」などと、観賞したり評価するのは、いつでも大人で、子供自身は、もしほめられても、そんなものかなと聞いているだけである。だから「子供の絵」というような言い方の、根本に何か間違いがある、と私は思う。描いたものには違いないが、「作品」ではない。その以前の、もっと根源的な何ものかなのである。 「絵」などというから、大人の「絵画作品」と混同して考えてしまう。そこにズレがおこる。大人のは見せる芸であり、商品である。はじめから観賞すること、してもらうことを目的とし、結果を予測しながら作り上げたものなのだ。いわゆる「絵描きさん」となると、描いている瞬間に、結果がわかっている。こうやれば、こうなる。習練(注1)と経験によって、色やタッチ(注2)の効果が計算できるし、生命の衝動、情熱、無目的な行動よりも、結果の方に神経が働いてしまう。出来ばえに、逆にひきずり回されているのだ。 しかも、大向こう(注3)の気配まですでに見すかして、……こんな趣向は喜ばれるだろう、これはちょっとやりすぎかな、などと意識・無意識に、そんな手応えにあわせながら仕事をすすめている。評判をとり、買手がついてくれなければ食ってゆけないし、社会が許さない。生活はきびしいのだ。無償の行為というわけにはいかない。明らかに「作品」つまり「商品」を作っているのである。大人の作品だって、本質的には生命力こそ肝要なのだ。自分の存在を純粋に外に投げ出す、突き出すアクションの質、強さによって、猛烈な魅力になる。私自身は、少なくともそのつもりである。よく、あなたの絵はわけがわからないと言われるが、「絵」でございます、というようなものは作りたくない。それ以前、そして以後のものをひたすらつきつける。――絵ではなく、芸術。そして出来るかぎり他の評価を無視したいと思っている。 (岡本太郎『美しく怒れ』による) (注1)習練:練習 (注2)タッチ:ここでは、筆の使い方 (注3)大向こう:ここでは、観賞する人々 捨てられたって何とも思わないのはなぜか。  最後まで描けたことに満足しているから。  いつでも描きたいものが描けるから。  描きたいものが描けて納得したから。  描きたいという欲求が満たされたから。 子供の描いたものが「作品」ではないのはなぜか。  観賞されることを目的として描かれていないから。  評価に値する出来上りになっていないから  描いた本人が価値を認めていないから。  大人ほどの表現力や情熱をもって描かれていないから。 「絵描きさん」について、筆者はどのように述べているか。  買手の要望どおりに描いている。  かんぺきな出来ばえを求めている。  買ってもらえるように描いている。  いつも同じような描き方をしている。 筆者は芸術をどのようにとらえているか。  他人には理解できないようなもの。  情熱に突き動かされて作るもの。  人間の生命力を巧みに表現するもの。 人を引きつける魅力的なもの。


ĐỌC HIỂU N1_ BÀI ĐỌC NGẮN

Bài này lúc đọc thấy hơi loằng ngoằng, nhưng nhìn đáp án thì mình có thể đoán được ngay.  Thậm chí không cần phải hiểu hết ý, vẫn có thể chọn được đáp án! Cả nhà có thấy thế không ? Bài đọc: 私が35歳になったころ、「このごろは、少年時代に経験したような、ものすごい雷雨が無くなった」と口にしたことがあります。ところが、60歳ぐらいになったとき、35歳ぐらいの人から同じ言葉を聞いたのです。つまり、私が強い雷雨は無くなったと感じたとき、その人はまだ少年時代で、強い雷雨を経験していたことになります。この場合は、無くなったのは、少年時代特有の自然から受ける鮮烈な印象、驚き、恐れでしょう。 (倉嶋厚『日和見の事典――倉嶋厚の人文気象学ノート』による) Câu hỏi: 筆者の考えに合うのはどれか。 1. 同じ雷雨でも、今の人は昔の人と同じような印象は受けない。 Read more…


ĐỌC HIỂU NGẮN N1

BÀI ĐỌC: 以下は、諦めについて書かれた文章である。 人が自分の能力以上のことに憧れ、それがどうしても出来ないというのに、なお執着を持っているとしたら、登れない壁の下で徒らじたばたしているようなもので、気の毒でもありますが、滑稽でもあります。この場合は諦めが必要です、ただそれは、その次の、自分の能力に合った憧れなり、道なりを求めるためにのみ必要であって、諦めの中に憩ってしまうことは少し見当が外れていることになるかもしれません。 (串田孫一『考える葦』による) 筆者の考えに合うのはどれか。  前へ進みたいなら、無理なことに執着せずに諦めることも必要だ。  前へ進めない理由がわからないなら、諦めることが必要だ。  能力に合った憧れや道を求めるなら、何事も諦めてはいけない。  能力を超えていると思っても、すぐに諦めてしまっては前へ進めない。   Phân tích bài đọc:    以下は、諦めについて書かれた文章である。 Dưới đây là đoạn văn viết về sự từ bỏ  人が自分の能力以上のことに憧れ、それがどうしても出来ないというのに、なお執着を持っているとしたら、登れない壁の下で徒らじたばたしているようなもので、気の毒でもありますが、滑稽でもあります。この場合は諦めが必要です、ただそれは、その次の、自分の能力に合った憧れなり、道なりを求めるためにのみ必要であって、諦めの中に憩ってしまうことは少し見当が外れていることになるかもしれません。 Con người cho dù có ngưỡng mộ những thứ vượt quá năng lực của bản thân, và dù có làm cách nào Read more…


BÀI ĐỌC DÀI N1 _ ĐỀ THI 2014

BÀI ĐỌC DÀI:   たとえば、あなたが会社の中で企画部門に属し、①目標値を設定する仕事を与えられたとする。ここでは達成不可能な目標を設定したところで意味がないとされるから、外部環境や内部の状況を含め、諸々の要素を検討することになるだろう。その上で現状から考えて、達成可能かつできる限り高い目標を探ることになる。 このとき、あなたが今後変わりうる外部環境を完璧に予想し、会社内部のすべてを完全に把握している存在であれば、目標を設定する仕事はこの上なく素晴らしいものだ。社員全員がこれに向かって全力を出せばそれでいいことになる。 しかし、実際にはそんなことはありえない。外部環境は予想もつかない方向に変わりうるし、社内では、上からの目が届かないところでアイデアを隠し持った人が必ずいる。固定化した目標は、不確定要素にまったく対応できないのである。しかも、こうした事前に予想ができない要素にこそ、大きなビジネスチャンスが転がっている。 だから目標を設定するならば、変化に対応する中で、各人の創意工夫の果てにやっと達成されるようなものでなければならない。しかし、事前にこれらをすべて盛り込むことはできるはずもないから、何となく納得感のありそうな落とし所(注1)を探すことになる。大人はこの落とし所という言葉が大好きなのだが、こんなものに意味があるはずもないのだ。これではすべての可能性を引き出すことができないのである。これは個人としても同じことである。(中略) 試合直後の力士にインタビューをすれば、「明日の一戦をまた頑張るだけ」と答えが返ってくるだろう。ゴルフツアーの最終日を明日に控えたプロ選手でも、翌日のスコア目標などは口にしない。そんなことを考え始めれば、プレイが崩れ始めることを知っているからだ。 それにもかかわらず、なぜかビジネスになると、途端に誰もが最終ゴールを決めようとする。スポーツよりも遥かに不確定な要素が多いにもかかわらず、目標によって自分たちを縛りつけようとするのである。これにはかなり②違和感を覚える。 どんなことでも、周囲の状況はどんどん変わることが当たり前である。それにもかかわらず、自分だけ変わらないのはおかしい。過去に立てた目標によって自分を窮屈な存在にしてはいけないのである。もしどうしても目標を立てたいのであれば、ほとんど実現不可能なくらいの大きな目標を持つべきだろう。しかし、これ自体はその達成方法を考えるのに役には立たない。自分が持つ可能性を大事にしたいのであれば、目の前のことだけに没入(注2)し、何かしらの(注3)変化を察知するにつけ、次のベストを探すというスタンスを保持することが重要である。 (成毛眞『大人げない大人になれ!』による) (注1)落とし所:妥協点 (注2)没入:ここでは、集中する (注3)何かしらの:何らかの ①目標値を設定する仕事では、どのような目標を設定しようとするか。  達成が難しくても取り組む価値のある目標  成し遂げられる範囲の中で最も高い目標  現在の状況から見て無理なく達成される目標  外部環境や内部の状況の変化を完(かん)璧(ぺき)に予測した目標 筆者は、何がビジネスチャンスにつながると述べているか。  社内外の不確定な変化に対する大胆な予想  創意工夫を生み出す社内環境  社員にとって納得感のある目標設定  社内に埋もれている発想や社外で起こる変化 ②違和感を覚えるとあるが、どのようなことに違和感を覚えているか。  目標を立てたのにそれを変えなくてはならないこと  周囲の状況は変わるのに目標を固定すること  目標を立てたのにそれを口にしないこと  不確定な要素が多いため目標を立てないこと この文章で筆者が言いたいことは何か。  自分の可能性を大事にするためには、大きな目標を立てるべきではない。  実現不可能なくらいの大きな目標を立てて達成に向けて努力すべきだ。  目標を立てることに縛られず、目の前のことに最善の対応をすることが重要だ。  自分が持つ可能性が最大限に発揮できるような目標を探し続けることが重要だ。 PHÂN TÍCH BÀI ĐỌC:  たとえば、あなたが会社の中で企画部門に属し、①目標値を設定する仕事を与えられたとする。ここでは達成不可能な目標を設定したところで意味がないとされるから、外部環境や内部の状況を含め、諸々の要素を検討することになるだろう。その上で現状から考えて、達成可能かつできる限り高い目標を探ることになる。 Ví dụ như bạn trực thuộc bộ phận kế hoạch Read more…


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ĐỀ THI ĐỌC N1_2015/07

Bài đọc: 職業として芸術家や学者、あるいは創造にかかわるひとびととは生涯コドモとしての部分がその作品をつくる。その部分の水分が蒸発せぬよう心がけねばならないが、このことは生活人のすべてに通じることである。万人にとって感動のある人生を送るためには、自分のなかのコドモを蒸発させてはならない。じつをいうと、この世のたいていの職業は、オトナの部分で成立している。とくに法律や経理のビジネスの分野はそうである。ところが、うれしいことに、そういう職業人のなかに豊潤な鑑賞家や趣味人が多い。 (司馬遼太郎『風塵抄』による) Câu hỏi : うれしいことにとあるが、何がうれしいのか。 1. この世のたいていの職業は、コドモの部分も必要としていること 2. コドモの部分を持っていれば、オトナの部分で成立している職業に就けること 3. コドモの部分で成立している職業の人は、感動のある人生を送れること 4. オトナの部分で成立している職業の人でも、コドモの部分を持ち続けていること   Phân tích bài đọc   職業として芸術家や学者、あるいは創造にかかわるひとびととは生涯コドモとしての部分がその作品をつくる。その部分の水分が蒸発せぬよう心がけねばならないが、このことは生活人のすべてに通じることである。万人にとって感動のある人生を送るためには、自分のなかのコドモを蒸発させてはならない。じつをいうと、この世のたいていの職業は、オトナの部分で成立している。とくに法律や経理のビジネスの分野はそうである。ところが、うれしいことに、そういう職業人のなかに豊潤な鑑賞家や趣味人が多い。 Học giả, nhà nghệ thuật hoặc những người có công việc liên quan đến sáng tạo, tạo ra những tác phẩm với phần như là trẻ con Read more…