BÀI ĐỌC VỪA KHÓ N1

BÀI ĐỌC:  書を読むという行為が、人間の成長や知的能力の向上に必須のものであることを、かつての社会は経験法則的に理解していたのではないだろうか。素読(注1)などは強制的、修養(注2)的なものではあるが、読書習慣の形成を何よりも重視する教育メソッド(注3)であったことは確かである。しかし、①私たちの世代はどうであろうか。書物というものが映像や音響メディアなどと単純に比較することを許さない必需品であり、読書は基本的な能力であるという確信をいだいてきたものの、近年の社会経済のあり方によって自信を喪いかけていたことは否めないのではなかろうか。 活字以外の表現手段が大きな影響力をもつようになったことを②「時代の流れ」と呼ぶのはいいが、文化の変容があまりにも急激なこと、あるいは一つの有力な文化が別のものに置き換えられることには予測しがたい弊害を伴う。活字にもいろいろあるが、書物に特有の楽しみを与えてくれる本、思索の喜びをもたらしてくれる本、人生の支えになるような本が相対的に少なくなったのは、1980年代の半ばごろからで、書店の棚には情報的な本や、映像文化の書籍化をねらった寿命の短いものばかりが目立つようになった。家庭からはスペースの狭さをいいわけに、本棚が姿を消してしまった。 ちょうどそのころから映像文化や活字文化の本質を考えるメディア論が盛んになったが、いまから思えば従来の活字文化が衰弱した場合にどうなるかという洞察力において、いささか欠けるところがなかっただろうか。 (紀田順一郎『読書三到――新時代の「読む・引く・考える」』による) (注1)素読:ここでは、意味を考えずに、声を出して読むこと (注2)修養:学問を修め人格を高めること (注3)メソッド:方法 ①私たちの世代とあるが、筆者の世代にとっての読書はどのようなものであったか。  人間の成長に不可欠だと自信をもって言えなくなってきていた。  社会生活を営む上で必須であると信じられていた。  映像や音響メディアと同列に扱われるようになってきていた。  近年の社会経済のあり方には合わないものとされていた。 ②「時代の流れ」は、書物にどのような変化をもたらしたか。  楽しみや喜びが与えられ心の支えになるような本が増えた。  映像化することを目的として書かれた本が増えた。  情報を提供する本やすぐに読まれなくなる本が増えた。  教育的に望ましくない本や悪影響を与えるような本が増えた。 1980年代半ば以降のメディア論について、筆者はどのように述べているか。  活字文化と映像文化の本質を明らかにしていなかった。  活字文化が衰弱していく時期を予測していなかった。  活字文化の衰退後の状況を見通していなかった。  活字文化を急激に変容させた要因を把握していなかった。 PHÂN TÍCH BÀI ĐỌC: 書を読むという行為が、人間の成長や知的能力の向上に必須のものであることを、かつての社会は経験法則的に理解していたのではないだろうか。素読(注1)などは強制的、修養(注2)的なものではあるが、読書習慣の形成を何よりも重視する教育メソッド(注3)であったことは確かである。しかし、①私たちの世代はどうであろうか。書物というものが映像や音響メディアなどと単純に比較することを許さない必需品であり、読書は基本的な能力であるという確信をいだいてきたものの、近年の社会経済のあり方によって自信を喪いかけていたことは否めないのではなかろうか。  Phải chăng xã hội ngày xưa theo trải nghiệm thực tế (経験法則的_ quy […]